「…自殺なのは間違いないです…。僕の目の前で⋯篠崎はあれを」と、研究員は視線を部屋の隅に向けてから「あ」と思い出した。そこにあった筈の薬品が入ったペットボトルは証拠品としてとうに鑑識係が持ち去っていたからだ。
「直接の死因になったあの、消毒薬ですか。業務用のとんでもなく強力なやつ」と俺は助け船を出した。
「ええ⋯そうです。この研究所はどんな微生物でも揃ってます。中には危険な細菌類も。だから劇薬ではあっても、ここでは家庭でいう手洗い石鹸程度な感覚の常備品なんです。しかし」彼は震えながら大きく息を吸った。

「あれは数滴で最強の殺菌効果を持つ。事実、一滴でシャーレに息づく数億の細菌を一瞬で死滅させる。細菌とは言え、生命なのに。顕微鏡で見ていて、今の今まで元気に動いていた生き物がスイッチでも切ったように一斉に動かなくなる……そ…そんなものを⋯あいつは。」研究員はこみ上げる嗚咽に耐えながら必死に話し続けた。
「そ、相当にく、苦しかったろうに…あんなもので死ぬなんて…。実際、彼は僕の目の前で七転八倒でしたよ。きゅ、救急車が到着した時もまだ、あ、暴れて、あば…れて」
 彼はその時の光景をまた思い出し、嗚咽し始めた。

 言葉を差し挟みにくくて俺はエヘン、と咳払いをせざるを得なかった。この研究員は余程仲が良かったのだろうか。「死因は間違いなく、消毒薬の飲用による服毒…⋯こう言うと逆説的ですが…自殺ということに落ち着きそうです。ただ、気になるのはその理由だ。聞き込みに拠れば、それまで彼の行動にこれといった不審なところはなかったと…」
「誰がそんな事を───?」
「え?…いえ、アナタ以外のこの研究室の方々ですよ、もちろん。」

「あなたは、人間の魂⋯心と呼ばれるものが身体のどこにあるか、なんて考えた事、ありますか?」
 その研究員は涙で赤く腫れ上がった目を俺に向けて訴えるように訊ねた。これがいわゆる、“予想の斜め上ゆく”質問って奴だったんだろう。そして俺は、よほどマヌケな顔つきになっていたんだろう。
「う〜んまあ⋯その。宗教的には、この辺かな、という認識ですね」と心臓を指差し、「医学的には⋯ここ?」と、頭を指差した。

「───ですよね。でもソレを証明した科学者はいなかった。…お茶のお代わりは?」
「いや、もう充分です。」
「篠崎はそれをやろうとしてたんです」
「あのう。魂のありかの証明、ってことですか?」
「そう。彼はある事にヒントを得たのが研究を始めるきっかけになった。」
 ごらんなさい、と彼はキイを叩き、昨夜の事件以来スリープ状態だったPCの電源を甦らせた。
「このモニタに映っているのは平凡な菌類です。そこの顕微鏡に直結したカメラの映像で。」
 げっ。菌類に詳しいはずのない俺は菌類と聞いて少なからずビビった。伝染病で世界中の人間が数十万の単位で死んだのは俺の爺さんの頃の話だ。まだ百年と経っていない。「あ…安全ですよね?」
「それは害のない普通の菌です⋯でも活発に動いてるでしょ?どんなに小さくても、生命そのものです。ところで」
 彼は俺の方を振り返って問うた。「あなたは彼ら…細菌のひとつひとつにも、そうした魂があると思いますか?」

 さっきからこんな調子だ。親友?の死がショックでおかしくなっているのか、元々こういう人種なのか、科学者というより宗教家かなんかみたいだ。いや、そんなに科学者に知り合いがいるワケじゃないが。さっさと引き上げるに限るな、と思った。
「⋯一寸の虫にも五分の魂、って話ですかね。まあ、あるとは思います。別にブッディストじゃないですがね」
「もしも、魂の概念が意思や思考の有無を指すのだとしたら、おそらくはノーです。」
 この野郎、からかってるのか、と段々腹が立ってきた。「では今日はこれで帰りますが、後日──」
「他殺」
「え」
「他殺ですよ。篠崎は。自殺なんかじゃない」
 気持ち悪いだけじゃない。コイツはなにか知ってる。俺の勘がそう告げる。
「いや。少し違うか。そうですね…悪意を持った誰かが大挙して家の中に侵入してきた。家のヌシは防衛のために反抗したが、武器として使った物が不的確だったために、護るべき自分も巻き添えで死んでしまった。コレはそういう事件なんです。…あれ?じゃ、事故死になるのかな。僕は法律は解らない」
「え?悪意を持った誰か?大挙してって?」
「細菌はたったひとしずくの中に日本の全人口より多くの数が棲んでます。実はそれが個々に意思を持ってて、統一された目的を持っている…話を戻しましょう。僕は篠崎に勧めたんですよ?素直に受け入れろって。なのに分からず屋なアイツは…でも、あなたはそんな愚を犯すべきではない」
「は?」…茶。まさか。あの茶に?



《幕》


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