その日も彼はなにもしないで、朝から“水底”に沈んだままで“水面”のことをずっと考えていた。もうすぐ自分の順番が来る。
 あおむけで水底に背中をはり付けるようにじっとしていると、自分の上をはるかな厚みで流れすぎてゆく、あたたかで心地よい“海”の中の無数の生命の存在を肌で感じられて好きだった。
 あまりに深淵なこの世界には、水面は遥かすぎて届く光はない。だが彼の眼はわずかな熱の差を映像として感じ取るためのものだったので、彼には海そのものが、そして自分自身がさまざまな“色”の光を放っているように見える。しかし、いくらその眼を凝らしても、気の遠くなるような深さの海を透かしてまで上の世界をうかがい知ることはできなかった。
 彼は修行僧であり、哲学者でもあった。
 僧侶は幼い頃より学僧として習い、学び、長い長いその修行の集大成として“海”の真理を悟るべく、“上”をめざすのである。“上”の限界点として“水面”の存在だけは伝説として知られていた。だが水面の上に何があるのか、どうなっているのかは未だ未知の領域であった。

 上に行くだけなら難しくはなかった。ひたすら、力の限り上へ上へと泳げばいつかはたどり着けるのである。しかし、上の世界に近づけば近づくほど、海は信じられないくらい冷たく希薄な密度となり、ある深度を越えれば二度と再び帰る事はできないと伝えられていた。ましてや水面を見る事など不可能だと。
 悠久の歴史の果てにようやく解ってきたこの世界のありようは、巨大な球状をした大地の上を、大地の直径よりも遥かに分厚く深い“海”が覆っているというものだった。そして彼らの世界の下は、熱くたぎった恐ろしく重い物質でできているらしいことも判った。
 彼らは死ぬとその場で無数の粒となって海に溶け込むが、魂はくびきを解かれることによって海の上へ…この世界の外へ自由に行けるのだと考えられていた。
 ナンセンスだ、と彼は思ってきた。
 死ねば海に還元されるだけだ。魂なんてない。思考が停止し、肉体が循環を止めることで新陳代謝が起こらなくなれば、肉体を構成する“つなぎ”が解けることで粒子化して海の流れに消えるのみだ。
 “海の上”を目指し、還って来た者はない。上の世界で粒子化したのだと言われるが、極低温と考えられている上の世界で粒子化するなどという事は考えにくかった。粒子化は体組織のつなぎが分解してはじめて可能であり、それは常温でないと不可能だったからだ。
 ようやく覚悟が決まった。彼が水面におもむく順番が来たのだ。水面を、海の上の世界を覗い知る事ができるならこの生命など───。恐くはなかった。やっと自分の眼で確かめられる旅に出られるのだ。

 それから彼は幾日も費やしてぐんぐん上がっていった。上がる程に信じられない寒さが襲う。そして上がれども上がれどもむしろ闇が深くなる。様子が知られている高さはとうに越えた。ここから上を知っているもので生還したものはない。
 還らなかった者たちも、彼と同じようにこの寒さに耐えて上がっていったのか。
 ああ。身体が凍り始めた。もう、腕も脚も動かない。だが一部の学説は正しかったようだ。凍結した身体はいつしか大いなるうねりの中にあり、何もしなくても勝手に上へ上へと運ばれてゆく。
 そのうねりも凍りつきながら彼を厚く厚く包み込む。それは大きな塊となり、さらに塊は塊と固まりながらどこかへと動いている。
 やはり、身体は粒子化しない。この様子や体験を“下の連中”に伝えたい。発見を褒めて欲しいのではない。無駄死ににしない為にこの体験を役立てて欲しかった。
 しかしそんな祈りも虚しく、彼を閉じ込めたとてつもなく巨大な塊は動きを止めた。しかも予想に反して死ぬ事もなかった。飢餓感もない。ただ、思考だけがひどくゆっくりになって活動し続けた。消えた皆もこうだったのだろうか。

 どれほどの時間が流れたのか。動きを感じたかと思ったらまた止まる。そんなことが何度もあったのち、いつしか周りの塊は消え去り、彼だけになって宙に浮いているような感覚だけになっていた。どうやら身体は凍った海と同化してしまったようだ。これが海の上での魂の開放か。ひどく空虚だ、と彼は思った。なにも、ない。
 長い旅の末、彼は自分がひとつだけ間違っていたと思った。魂はあった。何も見えず、何ひとつ感じなかったが、依然思考だけは働いていた。ただしそれは水底に居た時と比べるとあまりにも緩慢で、まるで夢の中での考え事のようだった。
 だが虚無の空間の外から伝わる無数の揺らぎが感じられる。よく判らないが、雑音のように現れては消えるこれは…これは…海の上にも誰か居るという事か。
 世界の速度が違いすぎて彼には聴き取れなかったが、もし翻訳できたらそれはこう言っていた。

「皆様、この巨岩が県下で有名な…」



《幕》


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