世の中にはごく普通の料理でも名前の付け方でとんでもなくハイカラでハイソな食べ物だと勘違いしてしまう料理がいくつかある。
 たとえばカクテルだ。酒やジュース等を適当に混ぜただけの飲み物だ。実は斜に構えるほどのもんじゃないって事は、昔は同じ飲み方を“ちゃんぽん”なんて呼んでいたことからも判る。
 昭和の酒飲みたちはちゃんと本質を見抜いていたって事だ。
 おなじく、魚介類のぶつ切りを酢と油で混ぜこぜにしたものがある。
 昔の日本なら“魚介の酢の物”で片付くところだろう。
 これをいいところのレストランなんかでは、ガラスのこじゃれた器に少〜しだけ盛りつけて勿体と屁理屈とサービス料をしこたまつけて“シーフードカクテル”などと銘打って出してくるわけだ。
 さて。私はそのシーフードカクテルなる洋式酢の物が大好きだ。
 妻を相手に好物の《シーフードカクテル》をつっつきながら、安月給の私の唯一の楽しみである晩酌の水割りを楽しんでいた時だ。
 私の奥歯がごりっ、と異音をたてた。
「えっ。何、いまの音」
「らにか…入っれら」「はぁ?またぁ?」
 妻がいぶかしむのも無理はない。シーフードカクテルってのはタコ、イカ、剥き海老のようなフニャついた材料が主で、およそ骨とは無縁な食べ物だからだ。帆立も剥き身で貝殻とも無縁だ。
「虫歯が折れたとか?」
「縁起れもないころ言うなお。これれもムヒ歯らけは無いろが自慢らのに…」
「変な喋り方してないで洗面所で吐き出してきなさいよ」
「れきるか、もっらいらい」
 貧乏性というやつだ。一旦口に入れたものを出すなんて───「毒でもないかぎり自然のめぐみに対して申し訳がない、って言うんでしょ」───と私の心を読み取ったかのように妻が続けた。
「でも、毒でなくても異物には違いないじゃない。飲み込んじゃったらどうするの」
 それもそうだ、と私は思い直した。

 カン。真白なホーローの洗面台に音を立てて転がった物が一瞬奥歯に見えてギョッとしたが、小指の先ほどのそれは何かの骨にも見える。
 少し洗ったあと、手でつまんで灯りにかざしてつぶさに観察してみるとやはりプラスチックなどではない。牛か豚の脚のように太い骨をするどい刃物で何度も刻んだような印象だ。とりあえずは有害なものではなさそうだが、およそシーフードカクテルと無縁な食材なのは間違いなさそうだ。

 件のシーフードカクテルは妻が作ったものではない。数年前にこの街にひょっこりできた評判の洋風惣菜店の既製品である。以前はこんなことなかったんだが、最近調理をする人が替わったようなのだ。実は先日もこういうことがあった。先ほどの妻の「また?」はそういう意味だ。
 料理人が替わったと言っても味が落ちたわけではない…いや、むしろかなり旨くなった。コクというか、特にタコが美味だ。明石産とかなんとかのブランドなタコなのかも知れない。
「前にも文句言ったのになぁ。だいたい何の骨か判らないのは気味が悪いでしょう」
「うーん…でも、いいよ。よくオマケもしてくれるんだろ」
「だからこそお得意様としても注意してあげるのが親切ってもんでしょ。それともこれきりでもう買うのをやめる?」
 いや、まさか。これだけの味とボリュームで妻からの苦情も出ない価格なんてありえない。この楽しみがなくなるのは正直、つらい。旨いだけじゃない。食べると元気が出る。新鮮な魚介類ってのが身体にいいんだろう───

 その頃その惣菜店は。

「もう泣くな」その日も閉店時間前には売り切ってシャッターは閉じていた。数年前からこの小さな街で兄と一緒に洋風総菜店を切り盛りしている妹は、あの日以来、少し手が空くたびに調理場で涙に暮れている。
「そんなこと言ったって…むごすぎるわ」
「仕方ないじゃないか。あれは事故だ。済んだ事なんだ」
「そんな事は分かってる。助けようがなかった事も、手遅れだった事も」言い終えるや否や妹はわっと泣き崩れた。「父さん。父さん。父さん…可哀想に、可哀想に」
「むごい事も承知だ。いっぱしの文明を持つ知的生命として倫理的にあってはならない事も……しかし何度も言うようだけど」
「私は父さんをちゃんと埋葬したいって言ってるだけなのよ」
「でももう父さんの身体はすでに八割は売れてしまったし…逆に身体が無事だったとしたらどうやって死体を始末…いや。…埋葬するんだ。生きていればこそ光学カムフラージュが効いて僕らは地球人に見えるが…この四本づつの腕と脚を見ろ。彼らには絶対に死体を見られるわけにはいかないんだ」
 ううう、と妹は嗚咽するばかり。
「考えようによっては良かったんだよ。父さんが発作に襲われた時、自分からフードプロセッサーに倒れ込んでしまったのは」



《幕》


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